人にものを教わるという事 上小鶴圭子先生のYouTube動画
人にものを教わるという事
昨夜の9時頃
神奈川県横浜市南区の伊東美樹さんから
『神宮司先生のピアノのお師匠さんの上小鶴圭子先生の動画拝見しました。上小鶴先生のピアノ演奏は素敵でしたよ』
『そうですか。私は知らなかったなあ。後で見てみます』
私はすぐにYouTubeで上小鶴圭子先生の検索をしてみたが、全く該当しなかった
何度も上小鶴圭子先生の名前で検索しても該当の動画が見当たらない
伊東さんにメールして上小鶴先生のYouTube動画のアドレスを教えて貰った
上小鶴圭子先生のYouTube動画を確認する事が出来た
再度。私は丑三つ時の加持祈祷が終わった朝方4時頃に
上小鶴圭子先生のYouTube動画を全て見た
実に立派だった
涙が溢れてきて
少し嗚咽していたと思う
私の秘書の小松原早雲君が
『神宮司先生。どうしたのですか』
小松原早雲君も毎日徹夜で仕事しているのである
『君。上小鶴圭子先生のピアノは素晴らしいよ』
『泣く事は無いでしょう』
『実に感動したんだよ。僕の知っている上小鶴圭子先生はとても小柄な、少女がそのまんま大人になったような人なんだ。しかし、ピアノを弾いている上小鶴圭子先生は見事に洗練された才能の人なんだよ。ピアノを弾いている上小鶴先生は身体も大きく見えるんだ。凄いね。凄いじゃないか。きっと大変な努力をされたんだね』
焼酎のアルコールの力のせいかも知れないがら落涙をおさえる事が出来なかった。
いつもの寝酒の一杯がいつしか三杯目のお湯割りの焼酎になっていた
いつしか私の心の中に上小鶴圭子先生が遠い存在になってしまった
私のようなど素人の老人によくぞピアノのレッスンをして下さったと思った
上小鶴圭子先生は才能の人だが大変な努力をされたのだと思った
そう思うと何故だかまた涙が止まらない
ああ。もっと優しく上小鶴圭子先生に優しく接していれば良かった
そんな反省の気持ちも手伝って、また泣けて来た
私の日記をめくると
私は上小鶴先生から2019年12月から翌年の4月迄ピアノを教わった
短い期間だったがレッスンは的確なご指導を頂いた
私には二人の師がいる
一人は私の文学の師。日本浪漫派の詩人山岸外史先生だ
もう一人は法華経の師。日勇上人だ
二人の師匠は具体的な事は何も教えてくれなかった
山岸先生は礼儀作法に厳しかった
日勇上人は私をいきなり大きな葬儀に参加させた
所作も読経も自分で覚えなければならなかった
ただ叱られた事だけが記憶に残る
私は布団の中でアンデルセンの『マッチ売りの少女』を読んだ
マッチ売りの少女と上小鶴圭子先生の小柄な身体が連想されて、一つの映像になってしまい、また泣いた
短い睡眠から目覚めたら、まだ酔いが残っていて
自らの老いに落胆したのである
何か反省の心があった
先日。鹿児島市の山形屋デパートの裏通りの広場で
奄美大島の島唄を数名の男女が踊りながら唄っていた
その時も
島唄の哀愁に泣けて泣けて
2023/04/07 神宮司龍峰 於・霧島山法華経寺えびの別院