大麻・覚醒剤依存症の駆け込み寺 法華経寺 霧島市
大麻乱用者による告白と懺悔 大麻依存症の実態
大麻依存症の駆け込み寺
覚醒剤依存症の駆け込み寺
薬物依存症の駆け込み寺
霧島山法華経寺
復縁祈願の法華経寺住職神宮司龍峰先生
大麻は「害がない」「依存性もない」といった誤った情報がインターネット上などで流されていますが、大麻は、実際にはあなたの脳を壊します。あなたの人生や周り人の人生を守るためにも、1回でも絶対に使用しないでください。
警察に逮捕されてからでは遅い
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~俺の人生、大麻と危険ドラッグ~
大麻乱用者の告白( 40 代・男性・鹿児島県姶良市)
ドラッグに初めて手を出したのは高校生の頃だった。
そのころ巷で流行っていたスパイス(注:危険ドラッグ)を手に入れたのがきっかけだった。修学旅行先のアメ村で、「合法ハーブ」と銘打って売られていたのを見つけ、思い出にと面白半分で買ってみた。
店の人間に、タバコのように吸えば良いと教えられ、見よう見まねで吸ってみたら、体がふわふわっとして楽しい気分になった。まるで、それまでに体験した事がないような感覚で、俺はすぐにスパイスの虜になった。
同じ頃、とある先輩から「大麻は自然に生えている植物だから、体に優しくて無害。」と大麻を勧められた。覚えているが、初めてのときは巻きたばこ。
これが俺の大麻との出会いだった。
俺が吸ったのは、極上のバッズ(注:花穂)の部分。それはそれは甘い香りで、一口吸っただけで、音楽が新鮮に聞こえ、気分が楽しくなり、皮膚の感覚が敏感になっていった。そんなんだから、大麻を使ったセックスは、これまで感じたことの無い快感が得られた。
俺は大麻を気に入った。
大麻を吸いながら曲を聴きドライブするのも好きだったな。
運転しながら音楽を聴いてると、一段と曲に乗れる感じがする。
楽しくなって、俺の生活は、大麻に溢れていった。
しかし、終わりは来る。
経営していた会社が順調になったと思った矢先、俺は大麻の所持でパクられた。大麻で捕まってしまったことで、それまで会社で築き上げてきた信頼を失うことになってしまった。当たり前か。
このとき失った信頼は大きかった。それまで付き合いのあった取引先や仕事の関係者が俺の元を離れて行った。仕事の話も全く来なくなり、資金繰りに苦労するようになった。
俺はそこで一旦立ち直った。気づいたんだ。大麻を止めようって。
大麻を止め、大麻関係の友だちと縁を切り、出来る仕事は何でもやった。すると、何とか生活出来るくらいにまでには立ち直れた。
その後、結婚することもできた。
だが、ここで俺はまた失敗する。幸せな生活を送っていたはずが、実はその間も、大麻を使っていたあの頃の感覚を忘れてはいなかった。
「また、大麻を味わいたい。」
そう考えていた時、たまたまクラブで知り合った男から、スパイスに似たタバコ様のものをゲットした。男は「これは合法だから捕まらない。大丈夫。」と教えてくれた。そして、俺は使った。良かった。
実はそのころ、世間では、危険ドラッグを使って引き起こされた交通事故や、乱用者が暴れたりする事件事故が多発していた。
俺もニュースでそれを知っていたが、だからといって俺には危険ドラッグは合っているし、そもそも合法だと思っていたから辞めようとは思ってなかった。
ただ、脱法ハーブが危険ドラッグと呼ばれるようになり、規制が強化され始め、段々と店で危険ドラッグが買えなくなっていった。
当時出回っていた危険ドラッグは、これまで俺が吸っていたものと違って、体が震えるようになったり、効き目が異常に強かったりして、俺はちょっと怖くなっていった。
だから、一旦は辞めようとしたのだが、どうしても効き目を忘れられなくて、ついつい買い続けてしまう自分がいた。そして、遂に俺の体に異変が起こった。
その日、危険ドラッグを買って、その場で吸った事までは憶えている。しかし、その後の記憶がなく、気が付けば病院のベッドの上だった。
後に聞かされたのは、俺は車を運転して電柱に激突し、車は大破。大けがをして、なんとか一命を取り留めたらしい。「あなたは運が良かった。」と病院の人間に言われた。家族に、妻に、大変な心配を掛けてしまった。
さすがに俺は反省した。こんな大事故引き起こして、死にそうになって、やと「もう薬物は懲り懲りだ。」「何があっても、もうドラッグはやらない。」そう思えるようになった。
大麻や危険ドラッグと出会わなければ、俺に人生はこんな事にはなっていない。そして、何か大きな事件がないと、自分では薬物を辞めることはできない。俺はそう思う。
一旦ドラッグを覚えてしまうと、辞めることはとても難しい。とても苦しい思いをしなければならない。これは大麻や危険ドラッグで苦しんだ俺だから言える言葉。こんな思いをするのなら、はなからドラッグなんかに手を出さなければ良かった。今、俺はものすごく後悔している。
~いつのまにか、大麻に溺れていた~
大麻乱用者の告白(20代・女性・神奈川県横浜市)
正直に告白します。私、27歳。
彼氏とは1年ほど前に別れたけど、大麻とは別れられない。
今、新宿でデリヘルをやってる。
生活、苦しいんだよね、風俗でもやんないと。
大麻は、デリヘルのお客さんから入手してた。
その人とは個人的にも何度か会ってんだよね。それで、ホテルに行った時やその人の家へ行った時に大麻を一緒に吸うんだ。タダでくれるし。
どっちかといえば、大麻が欲しくて付き合ってるって感じ。
大麻を吸えば、幸せになれる。
辛いことなどすっかり忘れられて、まるで魔法のクスリ。
20 歳の時に大麻を覚え、それからLSDや危険ドラッグも使ったことがある。覚せい剤も炙って使ったかな。でも一番は、大麻。
私は麻薬取締官に逮捕され、今、警察署の留置場につながれている。
どうして捕まったのか、使い始めたときのこことか思い出すうち、段々と悲しくなってきた。なんて惨めなんだろうって。
どうして薬物を使い続けたのだろうか。どうして逮捕されて留置場にいるのだろうか。どうして私は・・・。
私は気付いた。
いつしか私は、大麻等薬物に溺れていたってことに。
今にして思えば、逮捕される前、毎朝、身体がだるかった。物覚えも悪くなってたし、その影響はまだ残ってる。多分、知らず知らずに身体が蝕まれていたんだと思う。
今回、逮捕されたことで、自分自身の弱さにやっと気付けた気がする。
もう二度と、大麻などの違法な薬物には手を出さない。そう誓える自分になりたい。だから、私は振り返る。あの最悪な日々を。
私が初めて大麻を使ったのは、20歳の時。そのとき私は渋谷のクラブでDJやってた。出番が終わって楽屋に戻ると、DJ仲間の男たちが「何か」を回し飲みしていた。
その「何か」を男たちは「ハッパだよ。」と言った。ハッパ、つまり大麻。
私も、本物を見たことはなかったけれど、映画などで大麻を見て、知ってはいた。
大麻を吸ったら、警察に逮捕されるとか、体に悪いとか思ったけど、DJ仲間の普通な様子を見て、「自分も大丈夫。」「1回吸ったからって、大麻が無くても生きていけない身体にはならないだろう。」「もし体に合わなければ、すぐにやめればいいや。」等と、罪の意識や体のことなど忘れ、ハッパを吸ってみた。
すると・・・。
体がふわっと浮かんだような、なんだか楽しい感じになっていった。
不思議な感じ。まるでお酒を飲んでいるような、でもお酒ともちょっと違う感覚。これが大麻なんだって、私はそのとき感動した。
その頃は、大麻を持っている人がいれば、吸わせて貰うといった程度。
それで、大麻を吸って、「楽しくハッピー!」みたいなノリで楽しんでいた。
24歳くらいの時かな。「いつも大麻を回して貰っているから、自分で買わないと悪いな。」と思って、友だちのDJらから大麻を買ってみた。
当時、1グラムか2グラム程度を1万円で買っていた。
買った大麻は、一人で吸うんではなく、音楽イベントでみんなと一緒になって吸った。私は、みんなで大麻を吸って、みんなで一緒に楽しめたら良い、そう思っていた。
当時付き合っていた彼氏のうち、何人かは大麻を吸う人だった。
彼氏と付き合っていくなかで自然と大麻を吸い、彼氏が大麻を買うときには一緒に付いて行った。お金を出してあげたこともあった。
この頃、私は大麻を吸ってると、ゆっくりくつろげて、気持ち良くなる感覚に陥っていた。味覚が敏感になり、食欲も沸いてきた。
大麻を吸った後は、ぐっすりと眠れた・・・。
私は、こうして自然と大麻にはまっていったのだと思う。
そして気づいたときには、留置場。
今、こうして後悔の日々を送っている。
自分がいかに大麻に溺れていたか。
そして、弱かったか自覚しながら・・・。
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PC担当・井伊直子
法務担当・佐藤法律事務所